初めて会った瞬間から、忘れられない人がいる。 その理由が知りたくて、また会いたいと思う。人は、それを「恋におちる、という」
秋元康
乃木坂46 3期生エースが見せる20歳の初めてをギュッと詰め込みました!
1999年7月26日、月の美しい夜に生まれた山下美月。不器用で、時に壁にぶつかりながらも走り続けた20年間、
写真集撮影で訪れた憧れの地パリでの裏エピソード、これからについて語ってくれました。
物欲より食欲!? 何事にも動じない子供時代
一まず、山下さんの20年間を振り返らせて ください。小さい頃はどんな子でしたか?
友達と遊ぶのも好きだけど、ひとりっ子だ から、ひとりでもずっと遊んでいられるよう な子でした。全然泣かないし、おとなしいと いうか、動じない子で(笑)。小さい頃に撮っ た動画を見ると本当にそう思う。普通は、不 機嫌になって暴れたり泣いたりすることもあ るはずなのに「静止画かな?」と思うくらい動 かない。「赤ちゃんだけど、中身おじさんな の?」って思うくらい、人生2周目感がすごく て! そんな動じない子でしたが、小さい頃 から食べることは大好きでした。母にも「子 供らしい、車とかキャラクターの名前は全然 覚えないのに、ボンゴレとか鯖とかパスタや 魚の種類だけは覚えるのが早かった」と言わ れていて。他にも、クリスマスプレゼントは 見向きもせずに、テーブルの上のケーキをず っと見てる動画があって、なんか私らしいな あって。物欲より食欲というのは、昔も今も 変わっていません。
-ご両親だと、どちら似ですか? 目の大きさは母で、顔全体は父に似ていま す。父は身長が高くて、母は低いんです。だか ら、私はちょうど平均になりました。うちの 母は、真面目で物事をきちんとやるし、過保護 でちょっと厳しい一面もあって。でも、私が 「芸能活動がしたい」と言いだしたときは、ダ メだと言われなかった。むしろ応援してくれ て、大変なのに毎回送り迎えなどしてくれま した。ありがたいです。 一小さい頃の夢は? 小 学生の頃は、ケーキ屋さん、雑誌の編集者、
ヘアメイクさん...、将来の夢はたくさんあっ てコロコロ変わっていました。
-アイドルにはなりたくなかった? 小 学生の頃は、アイドルはなりたい職業と いうより憧れの存在で。小学3年生のお誕生 日にノートパソコンを買ってもらってから、 お家でアイドルの動画を見る時間が、私の活 カになっていたんです。AKB48さんとか、ハロ -!プロジェクトさんとか、いろんなアイド ルグループが好きでライブにも行っていたし、 生写真も集めていたな。ひとりで、中野ブロ ードウェイのアイドルショップに行っちゃう ぐらいガチファンでした(笑)。
―勉強は好きでしたか? 嫌いじゃなかったです。テストの3週間前 くらいから、びっしりと勉強する計画を立て ていました。その覚え方が、テストに出そう な単語を覚えるんじゃなくて、教科書を丸暗 記するくらいの気持ちで挑んていたので、最 後のほうは、徹夜みたいなスケジュールにな ってしまって...。ベッドで寝ないように、わ ざと家族がいるリビングに机を置いて勉強し ていました。スポーツは苦手だったので、勉 強でしか結果を出せないと思っていたんです。 その頃から、根性で生きていました(笑)。
かった経験が役立つかもしれないと思って、 目指してみたくなりました。夢もできて、行 きたい大学も見つかって「よし、これから受験 勉強を頑張ろう」と、高校2年生までは、わり と意思は固まっていたんです。でも、もうひ とつ挑戦してみたいことがあって...。学生時 代って、学校がすべてだったじゃないですか。 それをすごく窮屈に感じている自分がいて。 常に優等生でいようみたいな気持ちが強かっ たから、大学生になっても大人になっても、ず っと周りの目を気にして生きていくのかなと 思ったら、何かひとつ突拍子もないことをや ってみたくなったんです。で、2016年の夏に 「これが最後」と思って乃木坂46のオーディ ションを受けました。本格的に受験勉強を始 めないといけないギリギリの時期だったので 「受からなかったら、芸能界への夢は断ち切ろ う」と思っていました。中 学生の頃からたく さん悩んだし迷ってきたけれど、最後に巡っ てきた乃木坂46という場所は、私にとって最 高の場所になりました。きっと、神様が導い てくれたのかなって思います。
17歳で乃木坂46のメンバーに そして激動の4年間
一
葛藤の学生時代 夢への断ち切れない憧れ
——中学校・高校時代は? 高校生の頃、心理カウンセラーを目指して 勉強していた時期がありました。実は中 学生 の頃、ちょっと悩んでしまったことがあった んです。そのときに出会ったメンタルケアの 先生が、気持ちに寄り添ってくださる素敵な 方で、それから憧れるようになったんです。 心理カウンセラーという仕事なら、私の苦し
2016年、乃木坂46のオーディションに 受かって、最初のステージ(お見立て会)は、 どんな気持ちでしたか?
今でもステージから見たあの景色は、忘れ られないです。最前席に高校の友達ふたりが 応援に来てくれて、それをステージから見つ けたときの喜びとか。私、SHOWROOMのオー ディション審査で、ヒヨコのかぶり物をした んですけど、お揃いのヒヨコをかぶったファ ンの方がいてくださったりして、それもすご く感激しました。
私も小さい頃にアイドルさんに元気 をもらってきた身なので、ファンのみなさん が楽しいと思ってくれることを色々と考えて、 全力でやりたいという気持ちでいます。
「モノ作り」の魅力に気づき、 仕事を楽しいと思えるように
実際にグループに入ってどうでしたか? 私が入った頃には、すでに大きなグループ だったので、同じグループにもかかわらず、先 輩たちの背中は偉大でずっと遠くて、追いか けるのに必死でした。生活的にも、怒涛のス ケジュールだったので、4年目にしてようや く周りが見えてきた気がします。
―2018年「シンクロニシティ』では 初選抜でフロントに選ばれましたね
選抜に選んでいただいてから、さらに生活 がガラっと変わった気がします。初選抜でフ ロントポジションという貴重な経験をさせて いただけて、うれしかったです。もちろん、自 分の実力で行けた場所ではなくて、期待とか、 これから背負っていくものを考えての場所だ と思ったので、重みをとても感じました。
仕事で落ち込むことはなかったですか? 落ち込むこともありました。特に最初の1 年間は、親元を離れて生活をすることが初め てだったし、心細くても心配かけるのが嫌で 電話もできなくて。電話がかかってきても出 られなくて、メールで「大丈夫だよ」って返す くらい。でも、逃げたくなかったんです。今ま でずっと自分に負け続けてきたから、自分が 選んだ道で、自分がやりたいことをやりきっ てから、やめるならやめようと覚悟を決めて いました。苦しかったけど、あのときがあっ たからこそ、今は図太い精神でいられます。
ど、4期生には、伸び伸びと健やかであってほ しいなって思います。3期生って個性の塊み たいな子が多くて、まるで動物園みたいだけ ど、4期生はみんなちゃんとしているんです。 だから大丈夫と思いつつ、でもつらいことは なるべく避けて、気持ちが折れないように生 きてほしいなと思います。
―山下さんに憧れて、加入してきた 後輩もいますね
光栄です。でも、かっきー(賀喜遥香さん) のほうがしっかりしてるし、仕事もちゃんと できるから、いつまでもヘロヘロしてる私か ら学ぶことなんてあるのかな。でも...、それ でもやっぱりうれしいです。もっと頑張らな きゃっていう気持ちになります。
-2019年は、コラボユニットの坂道AKBで センターに。他グループと交流する中で、カル チャーショックなどはありましたか?
個人的には、アイドルさんが大好きなので 楽しかったです。いろんなグループがいる場 所に行くと、パーティみたいで刺激を受けま す(笑)。でも、この合同チームのセンターに 立つのはとても緊張しました。乃木坂46内で センターポジションに立つときは「頑張らな きゃ!」という気持ちで走れたんですけど、こ のときは「本当に私でいいのかな?」という迷 いもあって。でもこの『初恋ドア』という曲は、 私が好きなかわいいタイプのアイドルソング だったので、そういう曲でセンターに立てる のは純粋にうれしかったです。
ー山下さんは、ファンのみなさんをメロメロ にしてしまうイメージがあります。 秘訣はあるんですか?
なんだろう? 私はエンターテイナー気質 ではないので、自分がしてもらってうれしい ことを、みなさんにもしたいと思っているけ
-振り返ってみると、ターニングポイントは どこだったんでしょう? 実は、ずっとお芝居に苦手意識があったん です。でも2019年に『神酒クリニックで乾杯 を』というドラマに、初めてひとりで参加させ ていただいて。そこのスタッフさんやキャス トのみなさんがキラキラして、かっこよかっ たんです! 今までの私は、仕事で失敗でき ないというプレッシャーがとても強かったか ら、仕事に対して達成感や喜びは感じても、 「仕事を楽しもう」という感覚がありませんで した。だから、あの現場で「楽しんでやってい いんだ」と気がついて、そこから意識が変わり ました。作品をみんなで作ることが楽しくて、 毎日現場に行くのが生きがいになって。そこ から、アイドルに戻っても仕事に「楽しい」を 見つけられるようになった気がします。アイ ドルとお芝居の両立は、スケジュール的には 大変でしたけど、寝なくても「いけます!」み たいな気持ちになれたのは、このドラマが初 めてでした。
—初主演のドラマ「電影少女 -VIDEO GIRL MAI 2019-』もありました
『電影少女』のときは、さらにスケジュール が大変で、グループに迷惑をかけてしまった んですけど、作品を作ることは楽しかったで す。前の現場で、女優の松本まりかさんが「こ の役は、もっとこうしたほうがっぽさが出 る」と役作りについてスタッフさんと話して
初めて先輩になって、 思うこと、後輩に願うこと
一 -4期生が加入して、後輩ができました。 気持ち的に変化はありましたか?
それが、思ったよりもなくて。もっと先輩 っぽくなれるのかなって思ってたんですけど ね。だから、
アドバイスとかはできないければ
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